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高松高等裁判所 昭和28年(ネ)442号 判決

控訴人 大森建夫

被控訴人 高松国税局長

訴訟代理人 大坪憲三 外五名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が控訴人に対し昭和二六年三月二八日附を以て為した昭和二四年分所得金額審査決定中控訴人の所得金額金四十七万円とある部分のうち金四十六万百三十円二十五銭を越える部分を取り消す。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一審第二審を通じこれを十分してその一を被控訴人の負担としその九を控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は原判決を取り消す。

被控訴人が昭和二六年三月二八日附を以て為した原告の所得金額を金四十七万円とする審査決定の所得金額を金三十一万八千四百四十三円と変更する。

訴訟費用は第一審第二審共被控訴人の負担とするとこの判決を求め被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は

控訴代理人において

第一、控訴人の基本的主張

昭和二四年分の控訴人の所得額は甲第七号証によれば金二十六万円以下(当初の主張)であるが、控訴人の高松国税局協議団に対する審査請求の資料を基礎として同年の控訴人の所得額を金三十一万八千四百四十三円と変更主張する。その計算関係は次の通りである。

生計費      二〇九、〇〇〇円

商品増        六、四九七円

納付諸税額    一八三、三〇二円

負債減       五〇、〇〇〇円

以上合計     四四八、七九九円

右のうちより次の金額を差引く

現金減      一一六、四八三円

経費と見るべき諸税 一三、八七三円

以上合計     一三〇、三五六円

右の差引残高   三一八、四四三円

但し以上の計算においては円位未満は切捨てた。又納付諸税額は被控訴人の主張によれば十九万五千六百九十五円であるが、そのうち昭和二四年二月一日納付したとする昭和二三年分所得税金一万二千三百九十三円を納付したことはないからこの部分に関する自白は取り消す。又経費と見るべき諸税としては昭和二三年分の事業税及び取引高税であつて、右の合計額は必要経費として所得から控除せらるべきであるから、所得を構成しない。

第二、昭和二四年中の所得状況について

控訴人は昭和二四年度の所得を金二十六万円と申告し、本訴において、これを金三十一万八千四百四十三円と譲歩主張しているわけであるが、この金額は今日の物価から見れば大した金額のように思われないかも知れないが、昭和二四年当時の物価の状況から考えれば相当な金額である。被控訴人の主張の中にはこの物価の変動、したがつて貨幣価値の変動を看過している点が見受けられる。すなわち控訴人方の営業において次年度以降順次に右昭和二四年度を上廻る所得額を承認しているのは同二四年度の所得申告が過少であつた証左であるとする主張の如きがこれである。

一般物価は昭和二三年、同二四年度ごろを境として次第に上昇して居り、これに伴い各目所得額が増加するのは当然であるが、被控訴人はこの点を看過している。

又被控訴人は昭和二四年当時はインフレ時代であり好景気時代であつたから所得が多い筈であると主張しているが、これもまた皮相の見解である。戦後インフレを好景気と混同するのは誤も甚しいものである。

右の時代は実質的好景気を伴わない大戦争後の悪性インフレ時代であつて、かかる時代に名目的に所得増加を見るのは消費を伴わない製造業者あるいは少くとも問屋、卸売業態の者までであつて、消費と相表裏して営業する小売業者の如きは特に所得の増大するものではない。むしろ統制制度撤廃の過渡期にあつて経済活動の自由を奪われ堅実な小売業者の如きは所得の減少を招来して居るのである。控訴人は小売業者として同業者間においても堅実で真面目なことは地元税務当局ですら認める処であり、右のような変動期に特に利潤を挙げているとは考えられないのである。

又被控訴人は控訴人が当時支店を新設したことを目して、多大の利益を挙げて居る証左であると度々主張しているが、これまた誤れること甚しい見解である。全国的に多数の支店、出張所等を有する大企業でも赤字経営の例は無数にある。被控訴人、のような見解をとるならば控訴人が西条支店を開店後間もなく閉鎖した点は如何に見るのであろうか。控訴人が元塚支店を現在まで維持して来たのは三男の将来の生業として同支店を委せたいがためであつて利潤が大であつたが為ではない。以上のほか昭和二四年間の営業の環境は場所的にも時期的にも被控訴人の主張するように良好一点張のものではなかつた。

第三、帳簿の信憑性について

一口に帳簿と云つても下は大福帳から上は大会社の複式簿記による完全な帳簿まで千差万別であり、その信憑性も相対的なものである。したがつて絶対に信頼できる帳簿もないが絶対に信頼できない帳簿なるものも存在しない。

控訴人が甲第七号証として提出した帳簿も小売商としての営業規模状態に照し信用できる程度の内容を有するものと思う。これに対し被控訴人は取引先数個所の帳簿と符合しないと去うが、この場合取引先の帳簿が絶対に正しく控訴人の記入が必ず間違つていると断定する根拠はない。又昭和二四年一月から四月までの記帳が脱漏しているというが甲第七号証帳簿には年間全部の記帳がある。

又芥川事務官の調査額と記帳額に差異があるというが、これは同事務官が掛売部分を看過し現金売のみを調査したのであるから差異があるのは当然である。したかつて被控訴人の右帳簿を信用できないとする主張は根拠が薄弱であり、帳簿は明かに信用できるものである。

第四、年間財産増加額について

控訴人が当該年間の増加財産として承認できるのは第一項の計算関係に示す項目のみであつて、被控訴人の主張するような財産増加額は非常識極まるもので到底承認できない。すなわち

1  別途現金十二万円

右別途現金は昭和二四年以前から営業とは関係なく所持していたものである。すなわちこれは控訴人が本訴提起後何等義務がないのに拘らず、被控訴人の指定代理人土居氏に供述した別途所持金である。

控訴人も愚者でない限り訴訟期間中に訴訟上不利益なことを訴訟の相手方に供述する筈はないのであつて、「営業と関係なく従前より所持するもの」と述べたのであるが、土居氏は自己の立場にとり有利な部分のみを採つて報告書を作成し、これを乙第十号証として提出した。しかも昭和二六年七月に金十二万円を所持するを目して、前年度に営業を長男に譲つているから右十二万円は昭和二四年度のみの所得であると論断しあるいは推定することが可能であろうか。右は控訴人の当時の供述の趣旨及び小売商の常態から見てむしろ昭和二四年度以前から除々に蓄積していた現金であると論断あるいは推定する方が至当である。

又新円切替云々の主張があるが、当時商人は切替前に商品に逃避し、切替後これを現金化する方法その他種々の方法をもつて新円を獲得したことは周知の通りであつて、被控訴人の主張は当らない。

2  手持金十万円

乙第十号証中に手持金十万円と記載してあるのは意味不明であるが、被控訴人側の主張と併せ考えるならば、これは西条支店の家屋買入金中愛媛相互銀行より借り受けた金十万円を借り受けないものとして勝手に記載したものと思われる。とつてもつて証拠とすることはできない。まして控訴人提出の甲第十号証(証明書)の通り右銀行より現に金十万円を手形割引にて借用していること明かな現状においてなおさらであり、且つ西条支店開設は昭和二四年度ではなく、同年度の営業とは実質的には関係はない。

3  無尽関係の金額

これまた営業と関係のないことは既に述べた通りである。

なおこの点に関する被控訴人側の考方に間違いがあり、且つ計算もでたらめである。すなわち無尽の掛金は増加財産としては借入金の消却と見るかあるいは貯蓄と見るか何れかの一方に見るべきものであつて、預入金及び借金の減少双方の財産増加と見るのは間違いである。又計算も全く誤算である。乙第十二号証の証明書によれば昭和二四年中関係のあるものは未給付十万円口二口と既給付十万円口一口の三口分であるが、その掛金の全額は被控訴人の主張するようにはならないことは計数上明かである。

4  元塚支店土地買入金

右土地買入は昭和二四年中の行為ではなく、同年度の営業と関係ないことも高橋勝久の証言及び甲第六号証に照し明白である。もしこれを昭和二四年度の営業と関係ありと仮定するならば、同土地は控訴人の三男鐘の名義で買い入れたものであるから、贈与に等しく財産の減少と見らるべきである。と訂正補陳し、

被控訴代理人において

第一、控訴人の主張に対する反ばく

一、控訴人は肩書地において自転車、同部分品の小売並に修繕を業とするもので、その店舗は立地条件に恵まれ、控訴人の外に子供二名、見習一名が従事し収益する所得は同業者中の上位の部類に属するものである。昭和二十四年は永年の統制が解除せられ自由営業に進展する過程の年に属し、且又インフレ景気であつたことは公知の事実である。控訴人は昭和二十二年八月頃敷島通りの営業所より、立地条件のよりよい現在の中須賀町に店舗を新築移転し、営業したものであるから、当時の好景気と相侯つて、昭和二十三年度の所得金額三〇〇、〇〇〇円(同所得に対する所得税は納税者)を大幅に上廻る利益を所得したであろうことは容易に推認される。

且又、控訴人が昭和二十五年四月頃に至り、同市元塚町及び西条市に支店設立した事実は、昭和二十四年度の好況に照らしその企画準備がなされ昭和二十五年四月頃に実現したものと思料せられる。

二、控訴人は一応商業帳簿を備付はしているが、帳簿組織は不完全で、原始記録の保存なきものもあり、昭和二十四年一月より四月間の記載なく、又記載の脱洩あるのみならず帳簿の記載自体も亦不符合である。

したがつて、これら帳簿に基礎をおく控訴人主張に正当な筈がない。

三、控訴人は、昭和二十五年に営業を長男照夫に譲渡する迄においても、昭和二十一年ごろより店の仕事を長男照夫に委かせ営業上何等関係なく別途現金を所持していたと主張する。然しながら昭和二十二年、同二十三年中における店舗、住宅の建築に当り、営業商品をもつてその支払の一部に当てた事実控訴人が当時病弱であつても経営の指図等は出来たであろうことを勘考すると、控訴人は事実上営業のすべてを支配し、営業、営業外に現金を別途所持したとは考えられない。被控訴人の経験に照らしても、個人営業においては法人の会計と異なり営業資金とそれ以外の資金が確然と区分されることは稀な事例に属する。昭和二十一年には預金封鎖あり、その後は特別の場合を除き、家計費以外は自由に預金の引出も出来ず、且又当時の控訴人総財産の価額は財産税の課税額に満たないものであつたに過ぎないから、その後自転車業以外に格別の収入あることが認められない控訴人が、別途に多額の現金を所有し得る筈はない。無尽の運用により利殖の結果増加したとしてもそれは当該運用期間の利子額に限られ、しかも控訴人契約の無尽は大半契約期間半ばにおいて給付を受け、二十四年末迄に契約にかゝるものは掛金の総額が給付額を上回るものであること明かで利殖をした事実はない。

控訴人は別途現金一二〇、〇〇〇円を昭和二十四年末において所持したと証言しながら同年末においては全く所持しなかつたとも証言しその事実が曖昧であることは別途現金を所持しなかつた証左である。

本件において被控訴人主張の別途現金は、昭和二十四年中の収益のうち記帳洩の純益である。

四、被控訴人主張の所得計算方法に対し、控訴人は別途現金は実際上無尽預金と同一金であつて、しかも被控訴人がこの間の年月を無視して無尽預金と別途現金の二重に重複して所得額を算定するは失当であると云う。別途現金と無尽預金が同一であるとの主張はその意味を了解出来ないが、無尽預金をした場合は別途現金の減少を来し、無尽の給付を受けた場合は現金の増加を来す反面、借入金たる負債が増加する関係にあるから、被控訴人の計算には控訴人の指摘する如き、不当な点はない。

第二、被控訴人の所得計算について

一、凡そ所得金額の認定に当つては、納税者の作成所持する帳簿をも資料とすることは勿論であるが、それのみに限定しなければならないということはない。帳簿により認定する場合はその前提としてその帳簿が完全な帳簿組織を有していること誠実且つ正確に記帳されていること、それを裏付ける証拠書類が現存することを要し、且つ収税官吏にそれを誠実に提示し、調査に対しては真実なる回答をなし両々相侯つてその正確性が保証されなければならない。

若し帳簿がその正確性を疑われるようなものであるときは、それによることを要しないこと勿論である。

本件の如く、控訴人主張の帳簿の記載は脱漏があり、不正確でこれのみに基き控訴人の所得を決定することが出来ない場合は他の方法により所信を認定せざるを得ない。間接的に控訴人の財産の価額もしくは負債の金額、収入もしくは支出の状況事業の規模等より綜合勘案して合理的に算定した昭和二十四年中の所得金額は六三〇、一三一円以上である。(別表第一参照)

昭和二十四年分の所得税については当時所得税法第四十六条の二第三項の規定はなかつたのであるが、右規定のような推計は当然許されると解すべきである。

右計算中

(一)  現金が期首二四八、六〇九円七一銭、期末一三二、一二六円五〇銭で一一六、四八三円二一銭減少していること。

(二)  無尽預入金が期首二四、一二〇円、期末一二〇、六〇〇円で九六、四八〇円増加していること。

(三)  商品が期首一三一,六一四円五〇銭、期末一三八、一一一円八六銭で六、四九七円三六銭増加していること。

(四)  什器は期首期末いずれも二五、〇〇〇円で増減がないこと。

(五)  工具は期首、期末いずれも一〇、〇〇〇円で増減がないこと。

(六)  建物は期首、期末いずれも二三、〇〇〇円で増減がないこと。

(七)  生計費として二〇九、〇〇〇円を支出していること。

(八)  公租公課として一九五、六九五円を支出していること。

(九)  借入金として期首に五〇、〇〇〇円あつたが期末には返済されていること。

(一〇)  未払公租として期末に三二、〇五八の事業税及び家屋税があること。

はいずれも当事者間に争いないところであるから以下争ある項目について詳論する。

(一一)  別途預金一二〇、〇〇〇円について

控訴人は昭和二十五年四月ごろ西条支店の店舗を六十万円で買い入れ、当時の手持現金一二〇、〇〇〇円をその支払に当てたものである。そうして控訴人は昭和二十五年より長男照夫に営業を譲り、昭和二十五年一月より四月までに何等所得がないから右一二〇、〇〇〇円は昭和二十四年分の所得と認めざるを得ないものである。

控訴人は別途現金は一昭和十年ごろに儲けた金や従前から持つていた無尽の金や田圃や家を売つた金を貯めたものにして昭和二十四年ごろもこの金を持つていたと証言しながら更に昭和二十三年十号頃建築資金に現金十一万円を支払つたのでその余に手持現金はなかつたといい、又戦前より逐次保有した商品を三十四、五万円で売却した収益であるといい、或は無尽の運用にまり保有した金員であるとも主張するが、既述の如く財産税(昭和二十一年十一月十二日法律第五二号)の調査時期(昭和二十一年三月三日午前零時)において原告の総財産が同法の課税最低額一〇〇、〇〇〇円に達しないものであつたこと、財産税法の施行に先き立ち金融緊急措置令(昭和二十一年二月七日勅令第八三号同第八四号)日本銀行預入令が施行された事情等を考え合せると終戦後、営業を控訴人長男に委かせていた控訴人が、多額の別途現金を所持し得た道理がないし、ストツク商品の売却による営業外の所得ありと云うも、訴外長男照夫の当審における証言によると終戦の三ケ月か半年位前に売却したものと推認される。さすれば、前述の如く新円切替時において封鎖された筈である。若し亦これが新円切替以後なりとせば、預金封鎖の直後において渡辺某が新円を毛つて莫大な現金を支出し得べき理由がない。

控訴人は昭和二十二年ごろより病床にあり、多額の医療費を支出し、昭和二十二年八月ごろから同年末ごろにかけて中須賀支店の設置と、昭和二十三年ごろには住宅の建築に多額の支出をなしたため、昭和二十三年度分として三十万円もの所得を収益しながら、税金、生活費を差引くと赤字を余儀なくされため愛媛無尽より六万円借入れざるを得なかつた程であるから(但し乙第十二号証によると六万円を借入の事実は認められず同時期における無尽給付を指すものと思料される。)昭和二十三年香は全く手持金はなかつたと推断するを相当と思料する。乙第十二号証によると、愛媛無尽株式会社の無尽取引において、昭和二十二、三年と店舗並に住宅の建築と時を同じくし、集中的に無尽の給付を受けていることは上記事情を裏付ける証左に外ならない。

そして、控訴人は昭和二十四年以来何等の収入なきものであるから、別途現金一二〇、〇〇〇円は昭和二十四年中の所得により支払われたものと認めざるを得ない。

(一二)  無尽預入金の増加九六、四八〇冊、無尽借入金の減少四二〇〇〇円について

控訴人は、愛媛無尽株式会社新居浜支店に対する無尽預入金は期首二四、一二〇円、期末一二〇、六〇〇円であるから当年中に九六、四八〇円の預金の増加をなしたこと会社に対し期首無尽借入金九一、〇〇〇円の支払債務を負担していたが毎月三、五〇〇円宛合計四二、〇〇〇円を期末迄に返済していることが認められる。

控訴人は、前述の如く昭和二十三年末には別途現金の所持なく、しかも昭和二十五年以降何等の所得なきものであるから右無尽預入金増加額並に無尽借入金減少額は昭和二十四年中の所得によつて賄われたものと認めざるを得ない。

(一三)  元塚支店の買入代金五〇、〇〇〇円について

右新居浜市元塚支店営業所の宅地は昭和二十四年十二月ごろ瀬戸内運輸株式会社西条営業所長高橋勝久外数人の仲介により新居浜市白石恵子から買い入れたものである。

土地所有者に非ざる高橋勝久から当時未成年者である控訴人三男が譲受けたものであるとする甲第六号証は事実に反し又五〇、〇〇〇円中二〇、〇〇〇円を二十五年の利益より支出したというも帳簿に左様な記載はないのであつて控訴人の主張は措信出来ない。

(一四)  公租公課一九五、六九五円について

昭和二十四年中に支出した公租公課は一九五、六九五円で昭和二十四年分所得計算上必要経費とならないものである。したがつて当年度の所得と認めるを相当とする。

控訴人は建築税一三、六〇〇円の控除を主張するも、その事実を証するに足る証拠はない。かりにありとしても、営業に関係なき建築税は当然資産的支出であり、営業関係分は当該建物の取得価額として資産に計上し、耐用年数に割当てた減価償却額が必要経費となると解すべきを相当とするものであるから、かえつて建築税一三、六〇〇円の支出事実ありとすれば、資産の増加額に加算すべきものである。

以上の如く別途現金、無尽預入金、商品、土地が二七二、九七七円三六銭増加し公租公課、生計費として合計四〇四、六九五円を支出し、借入金、無尽借入金の返済に合計九二、〇〇〇円を支出している。右財産増加額の合計額の合計から現金の減少額一一六、四八三円二一銭未払公租公課二三、〇五八円を控除した六三〇、一三一円一五銭は控訴人の昭和二十四年中の所得額が財産となり、公租公課、生活費の支出額となつて表現されているものであるから、被控訴人の審査決定の所得額四七〇、〇〇〇円を超える所得がある以上、被控訴人のした処分は何等不当なものではない。

二、更に控訴人は昭和二十五年四月西条支店設立に際し、愛媛無尽株式会社より一〇〇、〇〇〇円、西口武市より一〇〇、〇〇〇円を夫々借入し、費用の一部に当てたと主張するも、乙第十二号証によれば愛媛無尽株式会社は控訴人に左様な貸付をしたことなく、甲第八号証の一、甲第十号証によるも当該借入金が西条支店売却後約二ケ月で返済したとの控訴人主張とも相違し当該証拠は措信し難い。当審における控訴人西口武市の証言、乙第十三号証を綜合勘案すると西口武市は問屋に対する商品代として一〇〇、〇〇〇円を控訴人に前渡したものと推断され、営業外に使用されたと認め難い。従つて右二口二〇〇、〇〇〇円は控訴人の別途現金より支出されたものと推認される。而して控訴人は昭和二十四年一月より同年四月まで格別の収入がないのであるから、当該支出は、昭和二十四年分所得と推断せざるを得ない。と訂正補陳し、

たほか原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

立証〈省略〉

理由

控訴人が新居浜市で自転車、同部分品の小売並に修理を業としていること、控訴人が昭和二五年一月二八日に同二四年分所得金額を金二十六万円、所得税額を金八万六千三百円とした確定申告をなし、そのころ右所得税を納付したこと、右申告に対し新居浜税務署長は同二五年二月二〇日附で所得金額を金五十四万円所得税額を金二十五万二千五百五十円と更正決定をしたこと、控訴人が同年三月一〇日控訴人に対し適法審査請求をしたこと及び被控訴人が同二六年三月二八日附で所得金額を金四十七万円、所得税額を金二十万九千三百円と審査決定をしたことはいずれも当事者間に争がない。

そうして所得金額の認定に当つては納税者の作成所持する帳簿をも資料とすべきこと勿論であるが、その帳簿が正確性を疑われるような場合にはそれによることを要しない。そして成立に争のない乙第九号証並に、原審証人根来功二、同手島経夫、同松崎金之助、同門田道教、同明星庄一の各証言により順次にそれぞれその成立の認められる乙第一号証ないし第五号証と、原審証人芥川文男、同石川一の各証言に弁論の全趣旨を綜合すれば控訴人が作成所持する甲第七号証その他の帳簿の記載は不備であり、且つかなりの脱漏があり不正確であることが認められ、原審並に当審証人大森照夫(原審は第一、二回)、原審証人大森武雄の各証言及び原審並に当審における控訴本人(当審は第一、二回)の各供述中右認定に反する部分は前記各資料に対比すればたやすく措信し難く、他にこれを動かすに足る証拠はない。していると控訴人の帳簿のみによつてはその所得を認定することはできないので他の方法によらざるを得ない。そうして昭和二四年分の所得税賦課手続についてはその後改正の所得税法第四六条の二第三項(現行の第四五条第三項)のような規定はなかつたのであるが、所得の認定について間接的に納税義務者の財産の価額もしくは債務の金額の増減、収入もしくは支出の状況または事業窺模まり所得の金額を推計することは許されるものと解すべきである。そこで右の方法によつて控訴人の昭和二四年中における資産、負債の増減状況について検討するに、

(一)  現金が期首二十四万八千六百九円七十一銭期末十三万二千百二十六円五十銭で十一万六千四百八十三円二十一銭減少していること。

(二)  商品が期首十三万一千六百十四円五十銭、期末十三万八千百十一円八十六銭で六千四百九十七円三十六銭増加していること。

(三)  什器は期首、期末いずれも二万五千円で増減がないこと。

(四)  工具は期首期末いずれも一万円で増減がないしと。

(五)  建物は期首、期末いずれも十三万一千円で増減がないこと。

(六)  生計費として二十万九千円を支出していること。

(七)  借入金として期首に五万円あつたが期末には返済されていること。

はいずれも当事者間に争がない。そうして、

(八)  被控訴人は公租公課として金十九万五千六百九十五円を支出していると主張し(別表一、第二参照)、控訴人は当初該事実を認めたが当審において、そのうち被控訴人主張の昭和二四年二月一日納付したとする昭和二三年分所得税一万二千三百九十三円を納付した事実はなく、又被控訴人主張の昭和二三年分の事業税及び取引高税合計一万三千三百五十六円は必要経費として所得より控除すべきである旨抗争するので検討するに、被控訴人主俵の公租公課のうち右所得税一万二千三百九十三円を納付しないとの控訴人主張はこれを肯認するに足る証拠はなく、かえつて成立に争のない乙第十一号証によれ甘右所得税を納付したことが認められる。そして又その余の公租公課金を納付したことは控訴人の認めるところである。又右公租公課のうち昭和二三年分の事業税及び取引高税の合計金一万三千三百五十六円については特段の事情の認められない本件においては既に同年度中に賦課決定を受けていたもので必要経費として所得より控除せられているものと認めるを相当とするから、昭和二四年に納付した右税金を再度控除すべきではなく、同年中の支出額として資産計算には当然算入せらるべきものとする。よつてこの点に関する控訴人の主張は採用せず。

(九)  弁論の全趣旨により未払公租として二万二千五百円の事業税及び五百五十八円九十銭の家屋税の合計二万三千五十八円九十銭があること及び右金員は所得より控除せらるべきであることが認められる。

控訴人は右のほか更に昭和二四年中に決定した建築税金一万三千六百円(県税、市税各六千八百円)があるから必要経費として所得から控除せらるべきである旨主張するけれども、右建築税の存在を認めるに足る証拠はないがら該主張は採用せず。

(一〇)  被控訴人は土地につき期首二万一千円、期末七万一千円で五万円増加している旨主張し控訴人は右増加分五万円は昭和二五年四月五日に買い受けその代金五万円のうち三万円は控訴人の三男鐘の貯金中より、二万円は同二五年度の利益金のうちより支払つたものである旨抗争するので検討するに乙第七号証第九号証中被控訴人主張に副うような部分があるけれども乙第七号証は原審証人高橋勝久の証言に対比すればたやすく措信し難く、乙第九号証も後記各資料に対比すればとつてもつて被控訴人主張肯認の資料には供し難く、他に被控訴人主張を認めるに足る証拠はなく、かえつて原審証人大森照夫(第一回)の証言により成立の認められる甲第六号証と原審証人高橋勝久、同大森照夫(第一回)同大森武雄の各証言によれば控訴人主張事実を認めるに足り、これを左右するに足る資料はない。

よつてこの点に関する被控訴人の主張は採用し難く、結局右土地についての金五万円の増加額は昭和二四年中の所得より支弁せられたものとは認め難い。

(一一)  被控訴人は控訴人が別途現金十二万円を所持して昭和二五年四月ごろ西条支店の店舗買入れ代金六十万円の一部に弁済したのであるが、右は同二四年中の所得金である旨主張し、控訴人はこれを争うので検討するに、文書の方式及び趣旨により真正な公文書と推認することのできる乙第十号証及び原審並に当審証人土居照則の各証言によれば控訴人は昭和二五年四月ごろ西条支店の店舗を金六十万円で買い入れたのであるが、その資金の一部として控訴人が以前から所持していた現金十二万円を支出したことが認められるところ、右金員が昭和二四年中の所得金であるかどうかの点について、右各資料中被控訴人の主張に副うような部分があるけれども後記各資料に対比すればたやすくとつてもつて被控訴人主張肯認の資料には供し難く、その他被控訴人の立証によるもその主張を認めるには足らず、かえつて原審証人大森照夫(第一回)、同大森武雄の証言及び当審における控訴本人(第二回)の供述によれば控訴人は昭和十年ごろから前記自転車修理並販売業を専業として生活して来たものであるが、昭和二一年ごろからとかく病弱であつたためその当時から主として右営業を長男照夫らにさせていたこと及びそのような事情から控訴人は右営業の収支とは別途に右息子等に秘して従前より多少の現金を所持していたものであるが、その金が当時前記金十二万円に達していたものであり、したがつて右金員は控訴人の昭和二四年中の営業上の所得ではないことが認められる。もつとも原審における控訴本人の供述中には右認定に抵触する部分があるけれども前示各資料に対比すればたやすく措信し難い。のみならず控訴人経営のような個人営業において、しかもその営業主が営業外の現金をもつていたとしても必ずしも不思議なことともいえない。

その他被控訴人の主張及び立証を検討するも前記認定を妨げるに足る資料は認め難い。よつてこの点に関する被控訴人の主張は採用し難く、結局別途現金十二万円は昭和二四年中の所得とは認め難い。

(一二)  被控訴人は無尽預入金が期首二万四千百二十円、期末十二万六百円で九万六千四百八十円増加し、又無尽借入金が期首九万一千円、期末四万九千円で四万二千円減少しているので、その合計金十三万八千四百八十円は昭和二四年中の所得より支弁せられたものであるから同額の所得がある旨主張し、控訴人は当初右九万六千四百八十円は控訴人が昭和二三年以前より営業とは別に所持していた現金で支弁せられたものであり、又右金四万二千円も控訴人が営業とは別に所持していた現金で支弁せられたものであるから財産増加額に算入すべきではない。と述べ

当審において無尽の掛金は財産増加としては借入金の消却と見るか、あるいは貯蓄と見るか何れかの一方に見るべきであつて預入金及び借金の減少双方の財産増加と見るのは間違いである又右計算関係も全く誤算である旨抗争するので検討する。

先ず成立に争のない乙第十二号証の弁論の全趣旨を綜合すれば控訴人は愛媛相互銀行新居浜支店との取引において昭和二四年中に無尽預入金九万六千四百八十円(昭和二三年一〇月二四日加入の十万円口三口の未給付掛金の合計額)の掛込をなしたこと及び無尽借入金四万二千円(昭和二三年三月二九日加入の十万円口一口既給付掛金の合計額)を掛戻したこと(その支弁額の合計は金十三万八千四百八十円となる)が認められ、これを動かすに足る証拠はない。

次に原審における控訴本人の供述の一部に、前記(二)において認定した事実を綜合すれば、控訴人は建築資金その他の用に使用したため昭和二三年一〇月ごろにおいて、前記別途現金十二万円を除いては無尽関係の入金のほか手持現金を持つていなかつたことが認められ、原審証人大森武雄、原審並に当審証人大森照夫(原審は第一回)の各証言及び原審並に当審における控訴本人(当審は第一、二回)の各供述中右認定に反する部分があるけれども前記各資料に対比すればたやすく措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

そうして又控訴人の全立証によるも控訴人が前記昭和二三年一〇月ごろ以降同二四年中において前記無尽関係の入金以外に控訴人の営業関係の計算外において現金を取得したことは認め難い。そこで前認定の無尽関係の支弁金が昭和二四年中の所得金のうちから支出せられたものかどうかを判定するに当り右無尽関係の入金の点について検討するに、成立に争のない乙第十二号証と弁論の全趣旨によれは、控訴人加入の無尽は乙第十二号証に記載の十一口であるが、そのうち昭和二二年中に一万円口二口、同二三年四月に一万円口一口、同年九月末に一万円口二口、同年一〇月初に一〇万円口一口の合計契約高金十五万円の給付を受けていること及び右のほか昭和二三年中及び昭和二四年中には無尽給付を受けたものは一つも存しないことが認められるところ、原審証人大森照夫(第一回)、同大森武雄の各証言及び原審における控訴本人の供述の各一部に前認定の事実を綜合すれば控訴人は昭和十年ごろから新居浜市敷島通りで自転車修理販売業を専業として子供二人及び使用人一人を使用してこれに従事して来たものであるが、昭和二二年八月ごろ現在の前記中須賀町に敷地約四十坪を買い求めて(その土地代金は六万四千円)店舗を新築してここに移転し、同二三年一〇月ごろ更に右店舗の裏に住宅を新築したこと、そうして右中須賀町の店舗建設には資金十一万月を支出したが、そのうち手持現金は五万円で、残金六万円は愛媛無尽(前示愛媛相互銀行新居浜支店の前身)から借り入れたこと、又裏の住宅建設には金十一万円を支出したのであるが前認定の無尽給付金はいずれも当時右店舗並に住宅建設資金及びその他の用に費消したことが認められる。してみると他に特段の事情のない限り当時控訴人は自己の営業上の収支計算関係において右営業設備等の資金に無尽よりの借入金その他無尽給付金等を利用していたものと認めるのほかはない。原審並に当審証人大森照夫(原審は第一、二回)、当審証人塩田ムメの各証言及び原審並に当審における控訴本人(当審は第一、二回)の各供述中右認定に反する部分は前記各資料に対比すればたやすく措信し難く、他に右認定を動かすに足る証拠はない。それ故特段の事情のない限り右無尽関係の収支計算は控訴人の所得推計の資料としてこれを計算関係から除外することはできない筋合である。そうして又控訴人の全立証によるも控訴人が前記昭和二三年一〇月ごろ以降同二四年中において無尽関係よりの借入金を取得したことは認められない。

してみると結局昭和二四年中に支出せられた前記無尽関係の支弁金合計金十三万八千四百八十円は同年中の所得金(前記(一)に説示の当事者間に争のない期首現金を含む)のうちから支弁せられたものと認めるを相当とする。

そうして右金員のうちそれぞれ金九万六千四百八十円は未給付口に対する掛金であり、金四万二千円は既給付口に対する掛戻金であること前認定の通りであるから財産増加の計算関係において前者を無尽預入金の増加と見、後者を無尽借入金の減少と見て、共に財産増加額に算入することは何等の不当はない。

又控訴人は無尽預入金九万六千四百八十円を被控訴人が期首に計上せずして期末にのみ計上して所得の増額と推計したのは不当である旨抗争するけれども、右は未給付口に対する掛込金の合計額であつて、前記期首現金を含む昭和二四年中の所得から支弁せられたこと前認定の通りであつて、しかもそれは前記(一)の現金関係の計算において控除せられているものと認められるから、右金額を特に期首に明示して計上しなかつたとしても必ずしも不当とはいえない。

その他控訴人の主張及び立証を検討するも前記認定を左右するに足る資料はない。よつてこの点に関する控訴人の主張は採用し難い。

叙上認定を綜合すれば結局控訴人の昭和二四年中における財産増加額及び同年中の所得より支出せられた金員の合計は金五十九万九千六百七十二円三十六銭にして、同上財産減少額及び所得より控除せらるべき金員の合計は金十三万九千五百四十二円十一銭であることは数理上明白である。したがつてその所得額は合計金四十六万百三十円二十五銭となる。よつて被控訴人が控訴人に対し昭和二六年三月二八日附を以て為した昭和二四年分所得金額審査決定中控訴人の所得金額四十七万円とある部分のうち控訴人の所得金額金四十六万百三十円二十五銭を超える部分は違法として取り消すこととし、控訴人の本訴請求中右認定を超える部分は失当として棄却すべきものとする。

よつて右認定と一部異る結論に出た原判決は失当としてこれを取り消すこととし、民事訴訟法第三八六条第八九条第九二条本文第九六条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 石丸友二郎 浮田茂男 橘盛行)

別表第一

区分

二四年一月一日

現在財産額

二四年一二月

現在財産額

昭和二四年中における

財産増加支出額

財産減少額

(資産)

現金

二四八、六〇九

七一

一三二、一二六

五〇

一一六、四八三

二一

別途現金

一二〇、〇〇〇

〇〇

一二〇、〇〇〇

〇〇

無尽預入金

二四、一二〇

〇〇

一二〇、六〇〇

〇〇

九六、四八〇

〇〇

商品

一三一、六一四

五〇

一三八、一一一

八六

六、四九七

三六

什器

二五、〇〇〇

〇〇

二五、〇〇〇

〇〇

工具

一〇、〇〇〇

〇〇

一〇、〇〇〇

〇〇

土地

二一、〇〇〇

〇〇

七一、〇〇〇

〇〇

五〇、〇〇〇

〇〇

建物

一三一、〇〇〇

〇〇

一三一、〇〇〇

〇〇

引出金

内訳

生計費

二〇九、〇〇〇

〇〇

二〇九、〇〇〇

〇〇

公租公課

一九五、六九五

〇〇

一九五、六九五

〇〇

(明細は別表第二表の通り)

合計

五九一、三四四

二一

一、一五二、五三三

三六

(負債)

借入金

五〇、〇〇〇

〇〇

五〇、〇〇〇

〇〇

無尽借入金

九一、〇〇〇

〇〇

四九、〇〇〇

〇〇

四二、〇〇〇

〇〇

未払公租

二三、〇五八

〇〇

二三、〇五八

〇〇

合計

一四一、〇〇〇

〇〇

七二、〇五八

〇〇

七六九、六七二

三六

一三九、五四一

二一

純資本額

四五〇、三四四

二一

一、〇八〇、四七五

三六

資産増加額

六三〇、一五一

一五

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